あしあと
今から258年前の明和2(1765)年、西濃一帯は大水害に襲われ、農作物が大打撃をうけました。その数年前に「盛枡」と称する増税がなされたばかりだったので、負担増と不作で困窮した農民たちは強訴を決心、翌年に救済を訴え数千人が大垣城すぐ近くまで迫りました。
結果、増税は取り消し、救済米も出て農民は救われました。しかし、当時強訴は御法度で、宮地村(現池田町宮地)と有里村(現本巣市有里)それぞれ2名ずつ、計4名が首謀者として死刑となり、それぞれの村でさらし首というひどい処罰を受けました。
これら農民の勇気ある行動は、現代まで義挙として語り継がれ、顕彰碑が建立されたり舞台演劇や小説になったりしています。
今回の展示は、一揆の詳細を記した古文書を現代語に訳したり、一揆の際の農民の移動ルートや大垣藩側の防衛体制なども地図で示しわかりやすくすることに努めました。当時の農民の苦しみや、一揆の経過などを知ってもらいたいと思います。
期間:令和6年2月9日(金)まで
時間:午前9時から午後5時まで
休館日:毎週月曜日、毎月第3日曜日、年末年始は休館で、ご覧になれません。
岐阜県 池田町役場教育委員会社会教育課
電話: 0585-45-7110
ファックス: 0585-45-7116
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