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あしあと

    乳くれ地蔵 池田町史跡

    • 2016年2月26日
    • ID:501

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    乳くれ地蔵

    当町を横断する谷汲巡礼街道には、全国各地からの巡礼が往来していた。
    文政6(1823)年5月、当八幡の地に力尽きた宥峯も、伊予国氷見村(現愛媛県西条市氷見)から地蔵尊建立の願いを持ってきた巡礼であった。

    病に倒れ、自分の願いを託せる慈悲のある人を捜すため、あえて「どうかあなたの乳を飲ませてください」と道行く人に懇願した宥峯に、唯一人応えようとしたのは八幡村庄屋竹中与惣治保常の妻みねであった。
    みねは宥峯の願いを聞き入れ、この地に六地蔵と道標を建立する。
    後にこの地蔵は「乳くれ地蔵」と呼ばれ、乳のでない母親などが詣るようになり、現在でも多くの参拝者を集めている。

    六地蔵の台座および傍らの道標に刻まれた「文政6年発未五月建之 願主伊予国氷見邑宥峯」という銘文から、宥峯と地蔵にまつわる伝承がある程度の事実に基づいていることは明らかで、当地域における近世の情景をよく伝える貴重な歴史資料である。

    所在

    〒503-2426 岐阜県揖斐郡池田町八幡1333-1