あしあと
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八幡に水源を発し市橋から赤坂を経て、大垣西方を迂回して揖斐川に合流する杭瀬川は、江戸時代より水路による貨物輸送の重要な役割を果たしていた。
明治25年頃、安八郡北一色村(神戸町)大場倉蔵が杭瀬川の水量が豊富なのに着眼して開設したのが市橋港(土場)である。
その後明治30年、周辺から集まった船頭達が施設に手を加える等して一層の充実を図り、最盛期には260余隻の共船組合も組織された。
積み荷は地元特産の石灰を中心に、木炭、柿渋、そだ(のり用)、他さまざまで、名古屋・常滑・桑名・松坂等へ出荷していた。
帰り荷として常滑焼製品、紀州の無煙炭、伊勢のみがき砂、名古屋の商品等を積んだ。
市橋港は地元や郡内の生産物資の集散地として揖斐郡産業の発展の一翼を担ったが、大正8年美濃赤坂線、昭和3年市橋線が開設されると石灰等の運搬は鉄道に移っていった。
加えて昭和13年大垣市に杭瀬川閘門が建設されて船の航行が困難になり、同年港はその姿を消すことになる。
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