あしあと
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国枝氏は15世紀後半以降池田の本郷1帯を本拠としていた豪族で、文明年間(1469年から1486年)、三代目為助の頃に田村(現神戸町)から当本郷へ移り来たと考えられている。
以後、国枝氏は太郎ヶ城(字大和林)の築城、龍徳寺の再興、本郷城の回収および城下整備、市場開設の奨励等地域の発展に寄与してきた。
美濃守護職の跡目争いに端を発した舟田の乱で石丸利光方についた国枝為助は、明応4(1495)年、中野(現大野町)で斉藤利国方と戦い、弟4人共々戦死した。為助死後は子の正助が跡を継ぎ、以後7代目政森の時に関ケ原戦で西軍に属し敗れるまで本郷の地で勢力を保持していた。
この関ケ原戦で、本郷城、龍徳寺、養源院などは焼き払われてしまったと伝えられる。
国枝為助一族の墓は、国枝氏が再興し手厚く保護した龍徳寺境内の北西にある。墓所には為助の他、宗竜(5代目)、貞次、秀守、正泰(?)(以上宗竜の兄弟)、助光(6代目重光の兄弟)など計11基の墓石が並び、今も厚く奉られている。
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