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あしあと

    土岐頼忠並びに一族之墓 岐阜県史跡

    • 2016年2月26日
    • ID:521

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    土岐頼忠並びに一族之墓

    土岐氏は、南北朝時代より美濃国守護として勢威をふるった一族である。
    3代目守護頼康は弟の頼雄を揖斐に、頼忠を池田に配した。
    頼忠は池田を名乗り当地方を勢力圏として活躍し、後に5代目守護となる。
    また、当町本郷に本郷城を築き、願成寺に禅蔵寺を建立している。
    子の頼益は父についで本郷城にいたが、後に萱津(愛知県海部郡甚目寺町)に移り、その後革手城(岐阜市)に移り6代目守護となる。

    頼忠の建立した禅蔵寺には、頼忠(応永4(1397)年没)、頼益(応永21(1414)年没)父子の墓の他、頼忠の母玉洞院殿智山性彗大師(応安2(1369)年没)、美濃明細記系譜に見える頼益の弟頼名の長男、六之井太郎左衛門康忠(文明16(1484)年没)の墓、また六之井太郎左衛門康信(明応8(1499)年没)、智足院殿霊渓妙公大姉(貞治6(1367)年没)など一族の墓総計10基がまつられている。
    いずれも宝筐印塔である。

    所在

    〒503-2405 岐阜県揖斐郡池田町願成寺380-1 禅蔵寺地内